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大阪家庭裁判所 昭和52年(家)2716号 審判

申立人 王春道こと田口道夫

主文

申立人は、無籍につき、

本籍     大阪市○区○○×丁目×番

筆頭者    田口道夫

父・母    不詳

父母との続柄 男

名      道夫

出生年月日  大正一四年五月九日

として就籍することを許可する。

理由

1、本件申立の要旨は「申立人は、京都市○○で生まれ、母は兵庫県出身の田口カネといい、兄として田口清治がいる日本人であるところ、生後間もなく中国人夫婦に貰われて大阪市内に居住し、同市内の○○尋常小学校を卒業したが、その後、昭和一三年二月二七日神戸港から中国に渡り、以来今日に至るまで同国に残留する身となつた。このたび、日本と中国との国交が回復されたので、申立人は祖国に帰国することを希望しているのであるが、申立人の日本の戸籍が判明しないことから果せないでいる。そこで、当裁判所の管轄する地に就籍することの許可を求める。」というのである。

2、よつて、判断するに、本件調査の結果によれば、次の事実が認められる。

(1)  申立人は、大正一四年五月九日京都市○○区○○の○○の近くで生まれ、父は氏名不詳、母は兵庫県出身で、芸者をしていた田口カネ、兄として田口清治がいると聞いている。

(2)  ところで、申立人は生後八か月のころ、当時京都市内で○○○工場を経営していた中国籍の王陽鉄夫婦に貰われ、同夫婦の事実上の養子となり、申立人の物心つくまでの生い立ちは養父から聞かされたものである。

(3)  そして、三~四歳のころ大阪市○区○○○町に転居し、昭和一一年三月同市立○○尋常小学校(現在地大阪市○区○○×丁目×番×号)を卒業した。

(4)  その後、申立人は昭和一三年二月二七日養父母とともに神戸港を出港して中国に渡り、以来肩書住所地で生活し、昭和三一年四月福建省○県公安局より京都市○○生まれの日本人として在留許可を受け、現在まで同国に在留しているが、養父母は既に死亡している。

(5)  申立人は、日中国交回復後現在に至るまでの間、日本への帰国許可を得るため、再三にわたつて、厚生省援護局・京都府・京都市及び「日中友好手をつなぐ会」あてに申立人の日本の戸籍を捜して欲しい旨を依頼する手紙を寄せ、昭和五〇年一〇月××日付○○新聞及び昭和五二年九月××日付○○新聞にその旨が報道されたのであるが、身寄りや知人が判明せず、関係機関の調査によつても、申立人の戸籍があるか否か不明である。

3、上記認定事実によれば、申立人がその主張するように京都市○○で出生したとは断定できないうえ、その他の日本国内で出生したと認めるに足る直接の証拠は存しないのであるが、出生から短年月を経た時点で日本国内に居住していたことは明らかで、かつそれまでの間に日本国外から連れてこられたことをうかがうに足る証拠もないし、申立人が外国国籍を有するなどの証拠もない。かえつて、申立人は日本語を解し、申立人作成の幼時の記憶を日本語でつづつた手紙の内容やその生い立ちのほか、中国では京都市○○生まれの日本人として在留許可を受けて生活していることなどの事実を総合すれば、申立人が日本で出生したものと推認するのが相当である。そして、申立人の母は田口カネというのみで、その本籍は不詳で、父はその氏名さえ不明であるから、父母がともに知れないときということができ、結局、申立人は日本で生まれた場合において、父母がともに知れないときに当り、日本国民であるというべきである。

4、そうすると、申立人は、日本国民として本来本籍を有し得るものであるのに、未だこれを有しない者というべきであるから、申立人について、主文掲記のとおり就籍を許可するのを相当と認め、主文のとおり審判する。

(家事審判官 平井重信)

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